「シャーデンフロイデ」という言葉をご存知でしょうか。
ドイツ語で「恥ずべき喜び」という意味の「他人の不幸を喜ぶ心理」のことです。
『「妬み」はとりわけ競争的な状況で他者の不幸から深い満足感をもたらす。
「シャーデンフロイデ」を感じる能力は、利己的かつ暗い人間性を際立たせる。』
リチャード・H・スミスという「シャーデンフロイデ」の研究者の言葉です。
『シャーデンフロイデ: 人の不幸を喜ぶ私たちの闇』(2018年勁草書房)
日本では脳科学者中野治子さんの
『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(2018年幻冬舎新書)という本が有名です。

私の「シャーデンフロイデ」との出会いは・・・
実は20年ほど前にこの言葉の存在を知ったとき、
「ああ、この気持に名前があるんだ」と妙にほっとしたことを覚えています。
当時は会社員で出世競争に巻き込まれていた時期で、
自分のメンタルの半分はこの「シャーデンフロイデ」で
占められているのではないかという気がしました。

そしてそんな自分が恥ずかしくて、
「自分は自分、他人は他人」と自分に言い聞かせるのですが、
どうやっても心の底にヘドロのように沈殿しているこの気持ちは消えませんでした。
誰もが持っている感情なのだと知っても、
そういう感情に支配されている自分が許せなかったのです。

ではこの「心のヘドロ」とどう付き合うか・・・
ではこの「シャーデンフロイデ」という嫌な感情と
どう折り合いをつけて自分を納得させて日々を過ごせばいいのか。
「他人の不幸を願うだけならいいんじゃないの、他人を傷つけなければ」
というのが大方の意見かと思います。
これも会社員時代の話ですが、会社のサッカー大会で、ある支社との決勝戦の前夜、
相手のエースを誘い出し居酒屋でしたたかに飲ませて
翌日二日酔いで使い物にならなくしたという「シャーデンフロイデ経験」もあります。
いまでこそ笑い話ですが、これはもしかしたら「願う」だけじゃなく
「実行」してしまったのでレッドラインを越えてしまったのかもしれませんが。

スポーツ観戦にも潜んでいた「シャーデンフロイデ」・・・
そしてスポーツ観戦では「シャーデンフロイデ」はよくある感情です。
応援している選手やチームの失敗を願ったり、喜んだりする気持ちは
そんなに忌まわしく感じないのは不思議です。
そこでプレーしている選手だって言葉や態度に出さないだけで
恐らくは隠し持っている感情だと思います。

しかしプロはその感情を上手にコントロールすることができます。
「相手ではなく自分との戦い」と割り切るメンタルの強さがあります。
女子プロゴルファーで途中の「スコアボードは見ない」
というプレーヤーは結構います。
これも「シャーデンフロイデ」という「邪念」から
自分を守るメンタルマネジメントなのでしょう。

女子ゴルフ中継を見ながら起きた小さな変化とは?
そしてあの出世争いから20年数年たったある日、
あの「シャーデンフロイデ」に汚染され姑息だった自分の感情が
変わってきていたことに気づきました。
大好きな女子ゴルフ中継を見ながらのことです。
いつもは応援している推しの選手と優勝争いをしている選手がミスショットをしたら、
思わず拍手をしてしまっていたのが、
その日は1打差で追い掛けてくるライバル選手のバーディを喜び、
2人の「プレーオフ」を期待する自分がいました。
ああ、そういうことか。
この時、「シャーデンフロイデ」から卒業したと感じました。
もう出世争いもなく、スポーツのライバルもなく、
ただ人生や観戦を楽しむだけなら「シャーデンフロイデ」は出る幕はないのです。
心の奥底に沈んだままにしておけばいいのです。

「老年的超越」という心の贈り物も・・・
そして実はそこに「老年的超越」という高齢者特有の心理状態もあったのです。
スウェーデンの社会学者ラース・トルンスタム(Lars Tornstam)によって
1989年に提唱された以下のような高齢者の持つ不思議な心の力です。
- 自己中心性の減少
他者や自然、宇宙といった「自分以外のもの」とのつながりを
より深く感じるようになり、自分中心の考え方から離れる。 - 視点の拡大
人生をより哲学的・包括的に捉え、小さな問題に囚われにくくなる。 - 死生観の変化
死に対する恐怖が減り、死を人生の一部として受け入れるようになる。 - 物質主義から精神性への移行
物質的な欲求が薄れ、精神的・内面的な価値を重視するようになる。 - 孤独の肯定的受容
孤独を否定的に捉えるのではなく、内省や自己探求の時間として価値を見出す。

ここにおそらく「シャーデンフロイデからの卒業」が加わったのかと
ちょっと寂しい気になったのはなぜでしょうか。
若い頃はライバルのミスショットを願った。
しかし今はプレーオフを願う。
それが「成長」なのか、「老年的超越」なのかはよく分かりません。
ただ、人生後半の心は少しだけ穏やかになったような気がしているのも事実です。

