私の愛読書である宮本輝さんの「草原の椅子」という本のあとがきに、
宮本輝さんが考える「大人」の定義が書かれています。
「おとなとは、幾多の経験を積み、人を許すことができ、言ってはならないことは決して口にせず、
人間の振る舞いを知悉していて、品性とユーモアと忍耐力を持つ偉大な楽天家でもある。」
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自分も年齢だけは十分に重ねてきたので、この言葉に照らして我が身を振り返ってみたくなります。
しかし前半はまだしも最後の「偉大な楽天家」にはほど遠いなあと感じています。
「楽天家」ではあると思うのですが、おそらくこの「偉大な」に含まれる
「人生の苦味を十分に知ったうえで、それでもなお希望を捨てない人 」という
「思慮深さ」が決定的に足りないのだと思います。
私はおそらく妻からは「能天気」と思われているはずです。
老後の生活が経済的にひっ迫しているにも関わらず、
ビールを飲みながらのほほんと女子ゴルフやワールドカップを見ているからです。
妻の方は飲みたいビールを控えたり、スポーツクラブの解約を考えているのに・・・。
同じ宮本輝さんの小説(「草原の椅子」)の中に
「女に明日の心配をさせてはいけない」と言う言葉がありますが、まさにその状況です。
自分ではこの局面を打開するために常に考えたり行動したりしているつもりですが簡単ではありません。
まだしばらくは「自転車操業人生」が続いて行くのでしょう。

ところで「能天気」という言葉は、どうやら語源がはっきりしないそうです。
「無責任な楽天主義」「他人に迷惑をかける無神経さ」として語られることが多いですが、
「あまり深く考えない」「失敗してもすぐに忘れる」といった
サザエさん的な「天然」の要素もあるように思えます。自己弁護になりますが・・・。
楽天家=経験が育てたくじけない人格
天然=生まれ持ったおおらかな気質
能天気=楽天と天然が混ざった不安定な状態
そして私はこの「能天気」が自分の「心理的資本」になっている気がします。
(「HERO」の「O」とは少し違いますが・・・)

例えば落語に出てくる長屋の住人たちは、
- お金がない
- 失敗ばかり
- 仕事もうまくいかない
それでも、「まあ、なんとかなるよ」と笑って暮らしています。
ストレスに囲まれた現代では、深刻になり過ぎないというこの感覚は必要です。
しかしこの理屈は妻から見れば「自己正当化」の何物でもないでしょう。
要は「能天気」なりに「将来」への「説明責任」を果たせということだと思いますが
それができないから「偉大な楽天家」になれなかった、つまり「能天気」の限界なのであります。
宮本輝さんなら、もしかするとこう言うかもしれません。
「終着地を探すより、景色を見ながら漕ぎ続けなさい。」
(あのフンザで出会った老人のように。~「草原の椅子」より)
だから私は今日もまた、能天気に自転車操業人生のペダルを踏み続けています。

