「まさか自分がカスハラを?」
「カスタマーハラスメント」、いわゆる「カスハラ」。
店員や企業の担当者に対して、理不尽な要求をしたり、暴言を浴びせたりする客側の行為が社会問題になっている。
ニュースなどで「カスハラ」の話題に触れるたびに、「そこまで言わなくてもいいのに」と思ってきた。
自分がお客の立場であっても、相手への配慮は必要だ。そう考えていた。
ところが、あるとき私は、自分自身の言動を振り返り、「カスハラ」を考えさせられる出来事を経験した。
20年以上利用しているフットサルコートに「予約システム」と、「付加ポイント」についてちょっとした問い合わせの電話をしたときのことだ。

長年利用してきた施設だけに、「カスタマー」として私なりの言い分があった。
予約システムやポイントの扱いについて、自分の考えを電話口の女性スタッフに説明した。
もちろん、彼女個人を責めるつもりは毛頭なかった。
自分の考えを伝えたうえで、責任者の方と相談してほしい。それが電話の目的だった。
ところが、話をしているうちに、突然、彼女の声が涙声になった。
私は慌てた。
彼女を責めているつもりはなかったのに、彼女には自分へのクレームとして受け取られてしまったのだろう。
私は、すぐにでも謝罪しなければと思い、菓子折りを持ってフットサルコートに出向いた。
残念ながら彼女は不在だったが、その場にいた責任者の方と話をすることができ、問題そのものは解決した。
しかし、私の中には別の疑念が残った。
私は、知らず知らずのうちに、相手を追い詰めてしまったのではないか。
あとになって、あのときの自分の言動は、
「カスタマーハラスメント」に当たるものだったのではないかと考えるようになった。
相手を傷つけるつもりがなくても、相手を傷つけてしまうことがある。
今回は、この出来事を振り返りながら、「カスハラ」と「心理的資本」、そして「老年的超越」について考えてみたい。
なぜ「自分は正しい」と思うと、相手を責めてしまうのか
今回の出来事を振り返って、まず気づいたのは、自分の主張に整合性があると確信するあまり、
相手を責めるようなスタンスになっていたのではないか、ということだ。
自分の考えには理由がある。長年利用してきたからこそ、気づいたこともある。
だからこそ、きちんと説明すれば理解してもらえるはずだ。
そんな思いから、知らず知らずのうちに口調が強くなっていたのかもしれない。
自分では、問題点を説明しているつもりだった。
しかし、説明に熱が入れば、声の調子や言葉の選び方も厳しくなりやすい。
こちらはサービスやシステムについて話しているつもりでも、
電話を受けている相手は、自分自身が責められていると感じることがある。
ここに、コミュニケーションの難しさがある。
自分の主張が正しいことと、自分の伝え方が適切であることは、別の問題なのだ。
もちろん、サービスに不満があれば、問い合わせてもいい。
疑問点を指摘することも、改善を求めることも、利用者として当然の権利である。
カスハラを防ぐためにと言って、お客側が意見を言うこと自体をためらう必要はない。
問題は、何を主張するかだけではなく、どのように主張するかということだ。
自分の正しさに意識が集中すると、相手がどのような立場で電話に出ているのか、
どのように受け止めているのかを考える余裕がなくなってしまう。
今回の私には、その余裕が足りなかったのだと思う。

私が反省した3つのこと
今回の出来事から、私は3つの反省点を考えた。
① 自分の主張に整合性があると思うあまり、相手を責めるスタンスに立ってしまった
私は、自分の主張には筋が通っていると考えていた。
だからこそ、相手にも理解してもらいたいという気持ちが強くなっていたのだろう。
しかし、こちらの主張に理由があるからといって、相手がその場ですべてを判断できるとは限らない。
電話口のスタッフには、彼女自身の立場や業務上の制約があったかもしれない。
彼女個人では判断できない問題だった可能性は大きい。
そこを十分に考えず、自分の考えを理解してもらうことに意識が向いてしまった。
自分が正しいと思うときほど、相手を責めるような言い方になっていないか、立ち止まって考える必要がある。
② 「責任者と相談してほしい」という電話の目的に沿った話し方をすべきだった
そもそも、私が電話をした目的は何だったのか。
それは、自分の考えを伝え、責任者の方と相談してもらうことだった。
目の前のスタッフに問題の責任を負わせることでも、その場で私の主張を認めてもらうことでもない。
そうであれば、もっと早い段階で、こう伝えればよかったのだと思う。
「私はこう考えているのですが、私の理解が正しいかどうかも含めて、責任者の方に相談していただけませんか」
これなら、自分の主張を引っ込めることなく、相手を責めずに目的を伝えられる。
自分の意見を通すことに意識が向きすぎると、本来の目的を見失ってしまう。
今回の私は、問題を解決するための電話だったはずなのに、
いつの間にか、自分の主張を説明することに力を注ぎすぎていたのではないか。
相手を言い負かすことと、問題を解決することは違う。
この違いを、あらためて意識したいと思った。
③ 自分の持ち味である「ユーモア」を生かせなかった
私には、自分の「隠れ心理的資本」一つとして、「ユーモア」があると思っている。
仕事でも、少し冗談を交えたり、場の空気を和らげたりすることを意識してきた。
ところが、今回の電話では、その持ち味を生かすことができなかった。
自分の主張に集中するあまり、気持ちに余裕がなくなっていたのだろう。
もちろん、どんな場面でも冗談を言えばいいわけではない。
相手が困っているときや、深刻な問題を扱っているときには、むしろ慎重な言葉遣いが必要だ。
それでも、相手を責めるような話し方ではなく、少し柔らかい言葉で伝えることはできたはずだ。
ユーモアは、相手を笑わせるためだけのものではない。自分自身の気持ちをほぐし、
相手との間にある緊張を和らげる働きもある。
今回の私は、自分の主張を伝えることを優先し、そのための心の余裕を失っていたのだと思う。
カスハラを防ぐには、「心理的資本」の何が必要なのか
ここで考えたいのが、「心理的資本」という「心のリソース」だ。
「心理的資本」とは、困難な状況にも向き合い、目標に向かって前向きに行動するための、
誰もの心の中にある「心理的資源」のことである。
代表的な要素は、「HERO」と呼ばれる4つの力だ。
- H:Hope(希望)――目標を持ち、そこに向かう道筋を考える力
- E:Efficacy(自己効力感)――自分にはできるという自信
- R:Resilience(レジリエンス)――困難や逆境から立ち直る力
- O:Optimism(楽観性)――物事を前向きに捉え、可能性を見いだす力
「心理的資本」は、前向きな行動を起こすための「心のエンジン」として語られることが多い。
しかし、今回の経験を振り返ると、「心理的資本」は、ただ自分の主張を貫くための力ではないことがわかる。
自分の感情を整え、状況を冷静に捉え、相手との関係を壊さずに問題を解決する。
そのためにも、「心理的資本」を生かすことができるのではないだろうか。

自己効力感:自信があるからこそ、相手の話にも耳を傾ける
「自己効力感」は、自分の考えを持ち、行動するために大切な力だ。
ただし、自分の考えに自信を持つことと、自分の考えだけが正しいと思い込むことは違う。
「自分の考えには理由がある。しかし、相手にも事情があるかもしれない」
そう考えることができれば、自分の主張を保ちながらも、相手の話を聞く余裕が生まれる。

自信を持つことは、相手を押し切ることではない。
相手の意見を聞いたうえで、必要なら自分の考えを修正できることも、自信の一つの表れではないだろうか。
レジリエンス:感情が高ぶったとき、自分を立て直す
自分の期待どおりに物事が進まないと、いら立ちを感じることがある。
そんなとき、感情に任せて相手に言葉をぶつけてしまえば、問題がさらに複雑になるかもしれない。
いったん立ち止まり、気持ちを落ち着かせ、伝え方を変える。
必要なら、その場で結論を出そうとせず、責任者に相談することも選択肢になる。
困難な状況から立ち直るだけでなく、感情が高ぶったときに自分を立て直し、
よりよい行動を選ぶことも、「レジリエンス」を考えるうえで大切な視点だと思う。
楽観性:相手を敵にせず、解決の可能性を探す
自分の主張が認められないと、
「相手が間違っている」「どうしてわかってくれないのか」と考えてしまうことがある。
しかし、別の見方もできる。
「この人には判断できないのかもしれない。責任者に相談すれば、解決できるかもしれない」
こう考えれば、相手を責めることよりも、問題を解決することに意識を向けられる。
「楽観性」とは、何でもよい方向に考えればいいということではない。
状況を冷静に見ながら、別の解決策や可能性を探すことでもある。
今回の私に必要だったのは、自分の主張を通すことだけではなく、
相手を責めずに解決する道筋を考えることだった。
「心理的資本」の「HERO」は、そうした行動を選ぶためにも生かせるのではないだろうか。
カスハラ防止に「老年的超越」が役に立つ
「心理的資本」とあわせて、もう一つ考えてみたい概念がある。
それが「老年的超越」だ。

「老年的超越」とは、年齢を重ねるなかで、物質的な価値観や自分中心の見方から距離を取り、
他者や社会、人生全体をより広い視野で捉えるようになる心の変化を指す。
年齢を重ねれば、誰もが自然にそうなるわけではない。年を取っても、自分の考えに固執することはある。
だからこそ、私はこの考え方に関心を持っている。
長く生きてきたからこそ、自分の正しさを主張することだけが大切なのではないと、気づけることもあるのではないだろうか。
自分の正しさから、一歩離れてみる
若いころは、仕事でもスポーツでも、自分の力を認めてもらいたい、
成果を出したい、負けたくないという気持ちが強かったように思う。
確かにそうした気持ちは、成長するための原動力にもなる。
しかし、いつまでも自分の正しさや勝ち負けにこだわっていたら、周囲との関係を損なってしまうこともある。
今回の電話でも、私は自分の主張に意識が向きすぎていた。
もし、自分の正しさから少し距離を置き、「相手にどう伝わっているだろうか」と考える余裕があれば、
違った対応ができたかもしれない。
自分の考えを持つことと、自分の考えに固執することは違う。
「老年的超越」の視点に立てば、目の前の問題で自分が正しいかどうかだけではなく、
相手との関係や、その後のことまで含めて考えることができるのではないだろうか。
相手も、自分と同じ一人の人間である
電話口の女性スタッフは、私にとってはサービスについて問い合わせる相手だった。
しかし、彼女にも感情があり、仕事上の立場があり、さまざまな事情があったはずだ。
私には、彼女が涙声になった理由のすべてを知ることはできない。
それでも、自分の言葉が相手にどのように受け取られるかを考えることはできる。
お客だからといって、相手よりも上の立場にいるわけではない。
サービスについて意見を伝えることと、相手を尊重することは両立できる。
自分の要求を通すことだけではなく、相手も自分と同じ一人の人間だということを忘れない。
それは、年齢にかかわらず大切なことだが、人生を重ねるなかで、より深く理解していきたいことでもある。
勝ち負けよりも、問題の解決と人間関係を大切にする
今回、責任者の方と話をすることで、問題そのものは解決した。
結果だけを見れば、私の目的は達成できたことになる。
しかし、もし最初から、もっと柔らかい話し方ができていたらどうだっただろう。
女性スタッフを不安な気持ちにさせずに、同じように問題を解決できたかもしれない。
問題が解決したからといって、そこに至るまでの過程を振り返らなくていいわけではない。
自分の主張が通ったかどうかだけではなく、相手を不必要に傷つけずに解決できたかどうかも大切なのだ。
「老年的超越」を、目の前の勝ち負けや自分の利益だけにとらわれず、
より広い視野から物事を見つめ直す姿勢として捉えるなら、「カスハラ」を防ぐためのヒントにもなると思う。
もちろん、「老年的超越」そのものがカスハラを防ぐと科学的に確立されているわけではない。
しかし、自分の正しさから一歩離れ、相手や関係性を見つめ直すという考え方は、
日常のコミュニケーションを考えるうえで役に立つはずだ。
「正しいことを言う」から「伝わるように話す」へ
では、日常生活のなかで、私たちは何を意識すればよいのだろうか。
今回の経験から、3つのことを心がけたいと思う。
① 話す前に、目的を確認する
相手に何を伝えたいのか。何を解決したいのか。
この2つを、話す前に考えてみる。
自分の主張を認めてもらうことが目的なのか、それとも問題を解決することが目的なのか。
今回の私の場合、目的は責任者に相談してもらうことだった。
それならば、その目的に沿った話し方をすればよかったのだ。
目的を意識するだけでも、必要以上に相手を追い詰めることを避けられるかもしれない。
② 相手を責めるのではなく、自分の考えを伝える
例えば、何かに不満を感じたとき。
「どうしてこんなことになっているんですか」
「そちらの対応は間違っているのではないですか」
と強く問い詰める代わりに、
「私はこう理解しているのですが、確認していただけますか」
「この点について、責任者の方にも相談していただけると助かります」
と伝えてみる。
もちろん、言葉を丁寧にすれば何でも許されるというわけではない。
大切なのは、相手を威圧したり、個人に責任を押しつけたりせず、問題そのものについて話し合うことだ。
意見を伝えることを諦める必要はない。伝え方を変えることで、相手との対話を続けやすくすることはできる。
③ 感情が高ぶったら、一度立ち止まる
自分の口調が強くなっていると感じたら、いったん話すのを止めてみる。
深呼吸をする。少し時間を置く。必要なら、電話を切ってから改めて連絡する。
そして、自分の気持ちに余裕が戻ったら、相手に伝えたいことを整理する。
私の場合は、武器である「ユーモア」を生かすことも、その一つだったかもしれない。
ただし、「ユーモア」は相手をからかったり、問題を軽く扱ったりするためのものではない。
自分の緊張をほぐし、相手との会話に余裕を取り戻すためのものだ。

誰でも、いら立つことはある。大切なのは、いら立たない人間になることではなく、
いら立ったときに、自分の言動をどうコントロールするかということだと思う。
おわりに:脳は老いても、心は老いない
今回の出来事は、私にとって忘れられない経験になった。
私は、相手を責めるつもりはなかった。
それでも、結果として相手を追い詰めてしまったのではないかと考え、深く反省した。
自分の主張に正当性があると思うときほど、相手の立場を想像することを忘れてはいけない。
「心理的資本」は、困難に立ち向かうためだけのものではない。
自分の感情を整え、相手の話を聞き、よりよい解決策を探すためにも生かすことができる。
そして、「老年的超越」という考え方は、自分の正しさや勝ち負けだけにとらわれず、
相手や人間関係を広い視野で見つめ直すことの大切さを教えてくれる。
もちろん、年齢を重ねれば、自然に人間が丸くなるわけではない。
長年の経験があるからこそ、自分の考えに自信を持ちすぎてしまうこともあるだろう。
だからこそ、自分の言動を振り返ることが大切なのだと思う。
今回、私は自分の持ち味である「ユーモア」を生かせなかったことにも気づいた。
これからは、自分の主張を伝えるときにも、相手の立場を想像し、少し柔らかい言葉で話すことを心がけたい。
「自分は正しい」と思ったときこそ、一度立ち止まってみる。
その小さな心がけが、相手を傷つけることを防ぎ、自分自身の心を豊かにすることにもつながるのではないだろうか。
私は以前から、「脳は老いても、心は老いない」と考えている。
年齢を重ねても、自分の考え方や行動を振り返り、学び直すことはできる。
失敗をなかったことにするのではなく、そこから何かを学び、次の行動に生かしていく。
そんな心の成長を、これからも大切にしていきたい。
